欲しい←ほしい←ホシイ

 np.広告学校で大変お世話になったコピーライターの小霜和也先生の本、「欲しいほしいホシイ 〜ヒトの本能から広告を読み解くと〜」をやっと読了。遅くなってすいません・・・


欲しい ほしい ホシイ── ヒトの本能から広告を読み解くと

欲しい ほしい ホシイ── ヒトの本能から広告を読み解くと


 読み終わって折り目だらけ、ブックダーツだらけになったのですが、特に「これは覚えておこう」と思った部分を参考までに抜粋してみました。

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・人間は、情報を個別ではなくほかのものと組み合わせながら、その意味を解釈する。線と鼻の話。ない情報を勝手に補完してくれる。


・視聴者は全体のストーリーとの関係性とからめ、自分の記憶の中から商品に意味を足してくれる。だから、商品自体が映っている時間は数秒でもよい。


・広告の「ストーリー」とは、商品を効率よく認知してもらうための情報インフォメーションである。


・「選択的無視」と「選択的注視」。3on3の中をすり抜けていくクマの着ぐるみのケース


・選択的無視をされないようにするためには、ストーリーに出てくる登場人物たちの意識が常に商品に向いていていること


・CMにおける「よいストーリー」とは、「商品がなければストーリーが成立しない構造になっている」ことが大前提。


・コピーの中に、商品への意識が含まれていること。「あと百年、これでいく」→”これ”が商品を指しているように。


・どこかに少しだけ違和感を残す。


・感覚は理屈に勝つ。だからなるべく肯定語を広告には使うこと。「うんこくさくないダイヤモンド」と聞いてヒトはうんこくさいダイヤモンドを想起してしまう。


・ロゴはターゲットとの関連性を貯める容器。たまっていった関連性は、ロゴを見せるだけで再生される。そういう意味では、十字架が最強のロゴかも。


・記憶とはヒトの意思で自由にできるものではない。記憶に残すか残さないかは「感情」が決める。


・ヒトは記憶を自由にコントロールできないのだから、広告は不快なものであってはならない。広告が存在を許されているのは観るものをいい気持ちにさせてくれるから。


・ポール・エクマン(心理学者)がいう、全人類に共通する感情。1.幸福感 2.驚き 3.恐れ 4.悲しみ 5.怒り 6.嫌悪 広告が使っていいのは1と2のみ


・”幸福感”につながりやすい感情 : 好転感、競争要素(競争の中がんばっている人は、人に感動を与えてくれる)、達成要素、協力要素、リズム要素、快楽要素、知識要素


・”驚き”を与えるには、例外的な表現を見せてあげればいい。本能は未知のもの、知らなかったものを記憶して、次回以降に備えようとする。


・なぜ人は笑うのか。「なんだ、ネコじゃん!」の原理。「笑い」とは意外なものに遭遇し、それが安全だと分かったとき、安全だということを他者へ伝えるために湧き上がる警報解除メッセージである。


・人は物事を特徴で認識し、その特徴を肥大化させることで記憶に定着させる。自由の女神よりも富士山のほうが書きやすいし、それは大体あってる。


・人は全てのデータを参照する精密さは犠牲にしつつも、キューに応じてそのときに最重要であると思われるデータを最初に引っ張りあげることで緊急事態に対応できるように出来ている。”クマ”というキューに対し、真っ先に「死んだ振り」が出てくるように。全てのデータがPCのように出てきてしまっては、その間に食われてしまうから。


・マス広告を企画するときは、店頭でどういうキューを置くか、ということも含めて考える。何をキューにするか。ソフトバンクの白い犬のように。


・人は「出し入れ」に快楽を覚える生き物。なので本来的には本能では人は「常に何かを買いたいと思っている」という前提に立つべき。


・最初に無意識による情動で「買いたい」と思い、その次に意識が修正をかけて購買行動にいたる、という順序を人は踏んでいる。なので広告は、「無意識の情動に訴えかけ「買いたい」ドーパミンを分泌させるもの」と「「買わないほうがいい」という意識の拒否権を押さえ込むもの」に分けられる。


・人はあらゆる新しいものに対応させようとする本能をもっている。なのでいまだに最強のコピーは「新発売」だと思う。


・自分から能動的に関与する回数が多いと、そのものに対する好意度は上がる。PSのCM冒頭のズンっていう音とか、わざと目線を動かさないと見えない位置に対象を配置するとか、向こうになんらかのちょっとしたことでもいいので行動の余地を与えると、脳がそれを「好き」というシグナルと勘違いしてくれる。


イチローが毎朝カレーを食べるように、規則正しい決まりごとは人にストレス緩和の効果をもたらしているのではないか。だから、人は決まりごとがくっついているほうがやってみたくなる。


・コピーライティングとは、必要とされる伝達要素をレトリックによって圧縮する技法である。


・そのレトリックの圧縮を解凍するのは、聞き手である。レトリックの理解度の負荷が上がると意味が伝わりにくくなる(解凍できなくなる)。


・商品とならんではじめて完成するくらいのコピーがよい。「おいしい生活。」ではなく、「おいしい生活西武百貨店」でひとかたまり。


・だからコピーは80%くらいの完成度がいい。受け手の能動的参加で+10%、商品と並んで+10%


・言葉は前後の文脈次第でいくらでも意味が変わってしまう。「バカ」という言葉も憎しみにも愛情にも照れ隠しにも皮肉にもほめ言葉にもなんにでもなる。


・だから、コピーとはターゲットの生活環境、時代環境と合わせて意味を作るものである。


・専門用語、業界用語はその中にいる人同士の連帯感や仲間意識を高める。寿司屋用語も、客が店側との距離を縮める効果がある。なので、コピーの大きな役割は、企業と生活者の「仲間意識」を生み出すことにある。仲間だと思ってもらえない限り、どんなに正面切って「買ってくれ!」といったところで、それは自分が得したいだけだろ!という、ずるいという意識が働いてしまう。いかに相手に仲間だと思ってもらったうえで、メッセージを伝えられるかは非常に重要。


・広告コピーライティングとは、無意識にラベルを貼るという作業を、生活者に代行してやってあげる行為でもある。「そうそう、そう思ってたんだよ」って。


・物事は、それに着せるメタファー次第で、まったく別の側面を見せてくれる。マーケティングを「戦争」とたとえるか「恋愛」とたとえるかで、その二人の人はまったく違う側面をマーケティングに対して見出しているはず。 なのでコピーライターはなるべく多くのメタファーの着せ方(切り口)を考える必要がある。


インサイトは動き回る。彼らの本音はひとつにびしっと定まっているわけではない。


・ターゲットインサイトというものは、狩猟採集時代のヒトの本能と、現代の理性との接触点に浮かび上がってくるもの。


・「製品」は物体そのものを指し示すが、そこに文化遺伝子がくっついて「商品」になる。なので商品力はそこにくっついた文化遺伝子の力で決まる。なので広告とは、製品に文化遺伝子をくっつけて商品にするメソッドだと思う。

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 ターゲットよりお得意より上司より、まず「ヒト」が分かってないことが分かったということ、これが何より大きいです。本来その「分かっている」なんて状態は、本能に支配されてヒトが生きていた頃にはいらない概念なんだろうけど、ヒトは二足歩行になって脳みそが発達し、道具を使いコミュニティを気づきそこに社会性が生まれ、”理性”が発達した。だから本能を、いちいち一回理性で理解したほうが住みよい社会になっちゃったのかなあなんて考えました。その人のものの考え方の回路に「ヒトの本能をなんとなく見つめる視点」というのがひとつあるのと無いので、全然暮らしやすいし広告だって考えやすいし、何より他者に優しくなれるのではないかな。だから読んだきっかけは広告人としてっていう立場だったかも知れないけど、結果的に広告よりはるかに前提のいろいろな知識、物の見方を増やせた一冊だと思います。別に回し者じゃないですけど、枝葉末節な広告メソッド本を読み込んで頭でっかちになる前に、一度この本を読んで回路を増やしておくととてもいいと思います。


 「欲しい」より、「ほしい」より、「ホシイ」からまず理解する。小霜さんありがとうございました!

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本日の一枚:

Guide (Wommat)

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 アフリカ音楽の樹海に迷い込める一枚。本能つながりじゃないけど笑、なんかとても安らぐビートを感じます。