【演じる】ことの持つ狂気性 〜ブラックスワン観ました〜




 今年前半の最大の話題作ともいえる「ブラック・スワン」。気になって気になってしょうがなかったので、仕事終わりのレイトショーで観てきました。ひとりで。

 

※なるべく直接的なネタバレは避けますが、それでも嫌だという人は読まずにパスしてください。




※そもそも、【白鳥の湖】のあらすじ、知ってますか??

白鳥の湖は、「くるみ割り人形」「眠れる森の美女」と並ぶ世界三大バレエのひとつとされる有名古典演目のひとつ。ロシアで創られた作品で、作曲は、彼にとって最初のバレエ音楽だったチャイコフスキー。悪魔の呪いによって白鳥に姿を変えられてしまったオデットは、呪いを解く唯一の方法である真実の愛を、人間の王子に求める。月明かりの夜のみ人間の姿に戻れるオデットと王子は次第に惹かれあうものの、悪魔の化身である黒鳥・オディールが王子を激しく誘惑し、王子は花嫁にオディールを選んでしまう。絶望したオデットと、悪魔にだまされたことに気づく王子だったが、悪魔を討ち取っても尚その呪いが解けることはなく、失意の果てに二人は自ら命を絶つことによって永遠の自由を得て、来世で結ばれる・・・



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 純真無垢で臆病なオデットと、欲望と憎悪の化身のオディール。古くから両方の役をプリマドンナが一人で演じることが多く、正反対の性格の二役を演じ分けなくてはいけないという、精神的にも技巧的にもとても難易度が高い役柄として有名です。


 【ブラックスワン】の主人公ニナはNYのバレエ・カンパニーに所属する若きバレリーナ。元バレリーナの母親エリカから夢を託され、過保護に大切に育てられてきた。元来生真面目でプレッシャーに弱く、追い詰められると自傷癖が出てしまうニナは、次期講演「白鳥の湖」のプリマに抜擢されたことにより、それまで以上のプレッシャーに苛まれることになります。清廉な彼女はオデットは完璧に踊るものの、悪の化身オディールの表現に苦しみます。母親やライバルとの確執の中、役作りを通じて徐々に自分の持つ野心・劣情・憎悪・嫉妬・焦燥といった負の感情を暴走させていくニナ。精神が徐々に崩壊していき虚実の境目が無くなっていく中、講演初日を向かえて・・・ っていうあらすじ。



 【役者】であること、【演じる】ことは、その時間だけ表面的に「その人物っぽく」立ち振る舞えばいいということではなく、高みを目指せば目指すほど、”自分ではない誰かの人生を、自分自身の人生に内在させる”域に近づいていく。自分ではない人生をそのとき完全に生きることは、そのとき自分ではなくなること。何人もの人生を背負い表すこと。それがいかに本人のメンタルを追い込むものなのか。自らの中から黒鳥オディールを引き出そうとするあまり、”本来の自分”である白鳥オデットを”殺して”しまうニナをみて、そしてニナを演じるナタリー・ポートマンをみて思います。演じることとは、自分を失わせることである一方、ある種それをも自分であると認め自らの中から引き出すことでもあると。極度のプレッシャーと野心に苛まれながら役柄を追求したあまり、ニナにとって黒鳥オディールは、紛れも無く”本来の自分”となって自らを染めきってしまいます。白鳥の呪いから逃れることが出来ず絶望するオデットと、黒鳥からもはや戻れなくなってしまったニナ。身も心も黒鳥に染まりきってしまった狂気のパ・ド・ドゥと、白鳥に戻り身を投げ全てから解放される終幕。役と自分を完全にシンクロさせ、そこから自由になる唯一の方法を、虚実織り交じった中でニナは選択してしまい、映画は終わります。





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 「LEON」のマチルダ役で映画デビューしたナタリー・ポートマン。そのときたった13歳であの役をやってのけたナタリーは、本人自身、ずっと優等生キャラでラブシーンはご法度な女優さん。優等生であるがゆえに自分の負の感情とも必要以上に向き合ってしまい精神が壊れていくニナの役を自分の中の内在させてあそこまでの演技に昇華させられるのは、優等生で艶や面白みに欠けるという批判を受けることも少なくなかったナタリーが、自分の中から目覚めていない別の人格を苦しみながら引き出して「演じて」きた過程とシンクロするからこそなのではないかなと思います。


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 メソッド演技法という、演技のひとつの手法・考え方があります。ある役柄の特徴を表面的・箇条書的に押さえることによって振る舞いをその役柄っぽく仕立て上げる形式的・表現主義的な手法と異なり、演技をする過程において担当する役柄について徹底的なリサーチを行い、劇中で役柄に生じる感情や状況については、自身の経験や役柄がおかれた状況を擬似的に追体験する事によって、演技プランを練っていくのがメソッド演技法です。


 映画『波止場』で兄から銃を突きつけられ、なだめようとするマーロン・ブランドや、『エデンの東』で父親に泣きつくジェームズ・ディーンの演技がメソッド演技法として有名で、ポール・ニューマンダスティン・ホフマンロバート・デニーロらもメソッド演技法の系譜を次いでいる俳優といえます。ただし、メソッド演技法に対する最大の批判として、役作りのために自己の内面を掘り下げるため、役者自身に精神的な負担をかける点があります。アルコール中毒や薬物依存などのトラブルを抱えるケースも少なくなく、マリリン・モンローモンゴメリー・クリフトは役作りに専念しすぎるあまり、自身のトラウマを掘り出したがため、情緒不安定となり、以後の役者人生に深刻な影響を及ぼしたと指摘されています。


 「ブラックスワン」におけるニナは、振り付け師であるトマスに、結果としてメソッド演技法を強要され、元来脆かった精神を、生真面目に破壊してしまったとも言えるのではないかなと。ナタリー・ポートマン本人がメソッド演技法を意識的に実践しているかどうかはさておき、「演じること」の狂気を、黒板を爪で引っかいたような生々しく痛々しいニナというキャラクターで存分に繰り広げてくれた1本でした。音がとっても重要な演出をしていますので、是非是非、音響のいい劇場で見るべし。ただし、この映画そのものが、見る人にとって大きなトラウマになる恐れがある、それくらいの衝撃作だと個人的には思うので、心して。