突っ込みどころと真実の間



 サッポロビールがカナダで展開しているバイラルムービー。電通がかかわっている模様です。侍とか力士とか着物とか、ガイジンさんが思い描いている日本像をあえてデフォルメすることで、得も言われぬ世界観がグルグルと展開されていって、ついつい見てしまう。


 バイラルムービーにおいて大事なことのひとつに「突っ込みどころ・違和感を残す」っていうのが結構言われていることで。真っ当に、真実のみを、ストレートに表現しても、見た人が感情を能動的に乗っける隙がないわけで、「ってかなにそれ??」って思わせることが出来ればそれはすなわち心の参加になるわけです。その驚きが大きければ大きいほど、他の人にもその感情を体験してほしい、もしくは自分のこの驚きを分かって欲しくて、バイラルしていくんだけど。


 ここで気になるのは、じゃあ真実は何が担保するの?ってことなのね。ブログにツイッターに次はフェースブックかといわれているほどの人類総発信時代に、情報はどわーってあふれるわけで、そりゃもう玉石混合になるんでしょう、今以上に。かつ、バイラルとかいって虚実入り混じった表現を世の中にシレッと生み逃げする人も増えていったとしたら、真実ってなんでしょうね?普通に考えれば、マスコミこそ真実の砦を守り抜いてほしいし、そこにしか彼らの生き残る道は残っていないような気もするけど、そもそも今この段階で彼らに真実を求めている人はほとんどいないでしょうw すっかり信用されてないもんなあ。。。 
 うちは、「情報そのものはそこに存在している時点で紛れも無い真実である」と思うようにしているので、それはそれとして、元ネタにアンテナを張るようにしたらいいんじゃないかなって思うわけです。このムービーも、元ネタは「日本」なわけだけど、日本そのものに対するアンテナも張りましょうよってことです。そういう教育を小さいうちにしないと、なんかもう現実がメルトダウンしてることに気付かない大人であふれかえりそうで、なんやらマトリックスっぽいなあと思ったのです。とはいえ自分も、一度も普天間に降り立ったことも無ければメキシコ湾の重油も見たこともなければ北極の氷が溶け出していることも直に観たことがないわけで。実際自分が降り立って見て触って、そのことしか信じないとしたら現代社会はもはや生きていけない構造になっちょる。無理だもの、全部に行くのは。だからこそ、これはなにか、人の手を透って情報として咀嚼されたものとして自分の目に入ってきているんだぞという自覚。これくらいしか気をつけられない。


 なんて思ったわけです。ちなみに最近の平成生まれの女子は、年上好きのことを「昭和専」というらしいです。なきそう。

〜〜〜〜〜〜

本日の一枚:

Ben Folds Live

Ben Folds Live


 一人なのに、圧倒的なノリ。ピアノをかっ弾くっていうのはこういう状態を言うのだなって思います。殴るし、たたくし、乗ってんじゃないか仕舞いにはっていう音も聞こえる。さすがベンフォールズ。元気になりたいときに是非。