ギフトは大切に


 こないだ、バンド仲間のK原さんと、「学生のとき、散々マニアックな音楽聴いてた反動で、最近ポップスばっか聴いちゃう」という話になった。自分がまだ学生で、先に社会に出て行った先輩が同じことを言ってたときは、「なに丸くなっちゃってんの〜」とか思ったもんですけど、分かる。分かるわー。気を張らなくても聴ける、素直にいいもの、評論耳にならなくて済むものに、どうしても手が(耳が?)伸びる。


 で、そんとき盛り上がったのがこの人ね。



 歌はある程度、努力で伸ばせると思います。でも、残酷なことに、声そのものはギフトだと最近思う。もうそれは、変えがたい、越えがたいもの。声というギフトを生まれうけた人は他にも沢山いると思うけど、久々にこういう、ガーーーンとやってくれる人に会った感じですよね。まあ世の中に出始めてから大分たつけど、改めて聴いても、改めてそう思う。好き。高音の抜けが、ホント泣きそうになるくらい、突き抜ける感じ。




 去年の情熱大陸に出てた時の映像。これ見て、あーこれはすごい人かもしれないと思ったもんです。歌にちゃんと人生を乗っける覚悟がある人だと。


 不況だと、チアーアップ系の曲が流行るとか、個々の事象から傾向を論じることはいくらでもできると思うし、僕自身マーケターでもあるので、そういうことを日頃生業にしてるわけだけど。cutのジブリ特集の号に、「カールじいさんの空飛ぶ家」のピート・ドクター監督のロングインタビューが載ってて、そこで彼が言っていることが、なんかはっとさせられてしまったんだけど。


 ”100%のヒット率を誇りながらも、ピクサーは一切、マーケットリサーチを行わず、作家主導で映画作りをしている点について。「いまどんな映画が流行っているとか、そんなことを考え出すと、ろくなことがないから。ぼくらの映画作りの哲学は、自分たちの心に響く映画を作ること。可能な限り、最高の映画を作る。そうすれば、きっとお客様も来てくれると信じている。」と答えている。”


 えらく不器用で非効率と、笑う人もいるかもしれないけど、結局、人の心を相手にした時、つまるところ、作り手は自分の物語しか語れないし、それによってしか、人を感動させられないんではないかと思ってしまったのです。本当に多くの人に愛されるアーティスト、クリエイターって、マーケティングでそうなったんじゃないもんね。ましてや、人の心をマーケティングで、方程式のように操れる、わけがないわけで。補助輪でしかないのですよ、きっと。まあそうした時に、本当に価値のある広告会社の今後のプランナー像って、やっぱり考えていかないといけないと切に思います。(プランナーであることにこだわりはないので、それ以外に答えを求める方がいいのかもしれないし)


 いい音楽とか、いい信念に触れると、また一歩自分の思考が深化するような気がして、気持ちがいいです。自分にとっての”ギフト”は何なのか、しっかり見据えて、大事にしていきたいなあ、と思うわけです。


 まあ、会話の内容としては、「Superflyバンドやりましょう!」っていうくらいのもんだったんだけどねw



Cut (カット) 2009年 12月号 [雑誌]

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