本当のいただきますを


 昨日、深夜2時半とかに土砂降りの中帰宅して、土砂降りの車内の、あのワイパーがフロントガラスとあのゴムのとこが擦れるのをしかも内側から聴くあの音って他の何とも違う音ですごく鮮明に耳が覚えていて、移動は基本車だった幼少の茨城での後部座席を思い出す。帰って、すぐ寝ればいいのにTVをつけたら、どっかの農業高校の、鶏を捌く授業のドキュメンタリーをやってて。女学生のみんなは、名前までつけて可愛がって育ててきた鶏を、あるいつもどおりの水曜の2時限目に、首に刃を突き立てて失血死させるわけです。みんなそれはもう泣いちゃって、ごめんね、ごめんねっていいながら、血が吹き出るのから目をそらさずにそれを見て。なんと人間は業が深い生き物なのだろう、こんなに賢くならなければそんなこと考えもしない生き物のままでいれたのにとか、深夜の変なテンションマジックも相まって考えてしまいました。んでね、その子は片足が不自由な「はるちゃん」っていうそれでも頑張って育てた鶏を、鶏肉と呼ばれる物体になるまでばらすわけ。最終的には、あのスーパーの生鮮食品コーナーの、あの鳥肌がおいしそうな肉になるわけで、でもそれがまだ、温かいんですと。なんなんだろうもうなんかそれを見ていて何かが一杯になって、土砂降りの中で頭がチカチカしてしまった。


 先生が、いいこといっていて、「人が生き物をたべるという行為がどういうことなのか、目をそらさずに、君たちの年齢だからこそ、自分の手で体験してほしかった。本当の”いただきます”が言える、子に教えられるお母さんになってほしかった」って。お母さんになってほしいってとこがミソだな。いただきます。うん。そうね。はるちゃんはチキンカレーになりました。それをみんな、おいしいって言って食べてて、偉いなあって思ったわけ。


 とかいってこの自分がベジタリアンにいきなりなったりするかっていうとそうでもなく、そこも含めて、業が深いのですよ人間は。山崎努もふぐの白子食いながらいってたでしょ?おくりびとで。あの映画も主題はそういうことなんだと思うんだけどね。牛はいいけど、鯨はかわいそうだ!とか言ってるどっかのゲリラたちもさ、かわいそうだからダメ!っていう思考停止じゃそこから何も始まらないわけで、もっと人間がそもそも生きてるだけで業を背負ってるって思った方が楽になるんじゃないかなとか思いつつ、業とかそういう思想は東洋的なのかしらとも思う。罪深く、残忍で、っていうかそもそも悲しいんだから生きるなんてって、頭だけで考えるんじゃなくて、実際に鶏を捌くことで感じさせようとした、その先生。あなたは立派だよ。

 
 死ぬんだからさ、頑張って生きようよっていう。あー自分はどうやって死ぬんだろう。ネガティブでも病んでいるわけでもなく、小さいときから、そういう自分。

 

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