おこがましや、調査設計


 調査を設計する。いつものお仕事。この調査はお題がナーバスだから専門用語が多くて、そこがしんどいからこうやって現実逃避して妄想遊びのブログを書いている。大体からして、このデスクっていう場が自分は苦手だ。出来ることなら一人になって作業したいなんて思いながらもこれは中々、反チーム的発言に取られかねないぞと思ったり。いやいやそういうつもりで言ってんじゃなくってね。どうも、閉所好意症な私。個人ブースで、水性の太いマーカーでミスコピーのA4の捨て紙に仮説を書く。そうやって漫ろに仮説を殴って、ふとああPCにメールが来ていて見ていないと大事になったらどうしようとか思って、一人になりたいとか言ってた割に20分くらいで席に戻ってみても返すメールは無し。帰国してメールセンター問い合わせしたときのあの感じ、香ばしい。


 調査。いろんな調査があるけど、うちがいつも設計するのは、人間に答えてもらうヤツ。果てこんなんでものの真髄に到達できるとは、しかし思わないわけですが、いろいろあるんですよ事情がきっと。ん、もっともらしいこと言ってるけど、現実逃避してるだけだからね。


 女性の作家の文体が好きなのは、自分には出来ないからで、だのに小賢しくも文体だけの表面を準えることを左脳でそれなりに出来てしまうのが、男という生き物のつまらないところで、そんな私は彼女たちの支離滅裂で矛盾した順序だっていない気ままなコスモに苛々しつつも、憧れるわけです。その自由に。自分の持っている、子供の部分をなぜか覆い隠してしまうのは、人が自分のことをどう思っているか、多少なりとも読めるようになってしまったからで、相手のことが読めないことは、無垢であることで、時にそれは自由なのだと思うんです。


 さて、調査。かたや私の今従事している仕事のなんとおこがましいこと。「ターゲットに理想の態度変容を起こす」などと、おこがましいったらあらしない。藤谷美和子がね、あまりにコスモな返事しか出来なくてトーク番組が壊れかけて、そんなんでどーやって人づきあい選んでますねん??って突っ込まれて、「わたし人なんて選んで付き合えないもん、だって人が分からないから」と言って、さんま御殿を爆笑に包んだのを思い出すわけですが、あれは、ある一つの真理だと思うのです。ふとすれば「人は人が分からない。だから面白く果てしない」ということを、人を分かろう・思い通りに動かしてやろうという仕事に従事し跳ね返されることでその反証から確かめようとしているのかも知れないわけで、同僚の思考とまったく違う位相でこんなことを考えているからグズなわけで、この性分、どうにかなんないかね。



 さて、調査。不思議なイベントである。決して楽しいものではないのです、少なくとも設計は。

 

リサーチ・リテラシーのすすめ 「社会調査」のウソ (文春新書)

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