晴れ時々死ぬかも


 また今日もここにおるわたし。あー!弊社が見えるー!とかふざけたことを心の中ではしゃいだりしつつ、多分会社の人間には死ね!と思われ、ここでしかわたしの近況を知る術がない人に向かって、「あ、会社辞めてさ、転職活動中なんだよね。」といえばもはや信じられてしまうだろうなあというような、能天気な昼下がり。

 


 東京タワーさん今日も。これだけ毎日目にしているにも関わらず、自分は東京タワーに上ったことは一度しかない。それもしかも、ほとんど覚えていないほどの昔、もう10年以上も前に他界した母方の祖母に連れられてだったような気がする。そこでタミヤの電池式の木製×機械仕掛けのティラノサウルスが歩くやつを買ってもらって、一部自分で組み立てつつ完成されて、しばらくそれで遊んでた。でもある日、親が一瞬近所まで買い物かなにかで家をあけたときに、当時まだ鉛筆の尻をガジガジにしてしまうような噛みたいお年頃(幼稚園児)だった自分は、ねじってたらとれたネジを口の中でコロコロしていて、飲んでしまったんだなこれが。ああ、自分は死ぬのかもしれない、ネジが胃の中でボロボロにさびて、そのさびが体中に回ってウケケケケとかある日発狂して、腹を壊して逝くのだろうと、そこから2週間くらい不眠症になった。それが私の、「死ぬかもしれない」初体験。まあ多分どっかのタイミングでクソと一緒に出たんでしょう。


 しかし自分は恵まれていることに、それくらいしか死ぬかもしれないと思ったことはない。ってかそれも杞憂だったし。6歳くらいのときに夜中に高熱と嘔吐でゲロゲロになって、取手の夜間病院まで、ゲロ桶持たされて車で行く途中なんかも結構鮮明に覚えていて、「僕、死ぬの?」なんて言ってたらしいんだから、冷静で可愛くない。それにひきかえ、弟なんか何度も死にかけているし、なぜか大概、おれ立会でw 清水公園のアスレチックで脳天からコンクリの基礎のところに真っ逆さまになって、偶然パイプに足が引っ掛かって助かったのとか、車で待ってなさいっていってんのに道路の反対側のリカーショップで酒を買っている父を追って車ビュンビュンの道路に突っ込んでいってやばかったのとか。そういう意味ではあいつもよくここまで無事に育ったもんだw


 こうして東京を上から観て気付くことはたくさんあるけど、今日気付いたことは、墓地が思いのほかたくさんある。そりゃそうだよねこんだけ人間が住んでんだ、東京にだって人を葬らねばならん事情だってありますよ。ってかこんなビルだらけになる前からその墓地たちは存在しているわけで、そういえば寺も結構あるんですよね。


 今日は千葉がうっすら見える。晴れてはいるけど、霞んだ午後。最近、自分の脳みその中の話ばかりで読者が離れていってる気がするので、もっと有益な情報を更新するように明日から頑張ります。なんて、嘘だけど。エッセイだからこれ。


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本日の一枚:

PM2

PM2


 この人の消え入りそうな声は、ここんとこの不安定な大気によく似ている。