「起こる」ことなんて全ては突然で


 もしそれがとうに予想されている出来事だとしたら確かにそれは”出来事”として前後の時間との境目を明確に持ったものなのかもしれないのだけど、そんなこといったら世の中は全て出来事なわけで、そんな中でも特に”出来事”として取り沙汰されるようなものはやっぱりその前後との境目が、ガクっとしたやつなんだと思うので、予想されているのことは出来事度が低いんだろう。予想できることはそのガクっとした境目の段差みたいなものが低いに違いなくて、だから世の中で起こることはきっとあんまり予想のできなかった突然のことが多いのだろうと思う。そう考えると、何かが突然起こったとしてもあんまり驚かなくなるような気もするが、それは「驚く」という感情の動きに慣れるというだけであって、「驚いている」ことはこれまた確かなんでしょう。


 今ちょっと落ち着いたからまあ書くけど、一ヶ月前くらいのある木曜日に、親父が倒れました。脳梗塞。母親のメールが第一報だったのですが、こんな自分なので、別に驚かなかった。酒は飲むはタバコは吸うは肥満だはで、どっちかというと死ぬ要因満載な人間なので、だからその出来事の境目は、自分の中で大きくなかったんだろうね。でも、驚いた。縁起でもないことも考えた。親が死ぬっていうのはどういう感情なのか、とかね。親子そろって不器用なのであんまり突っ込んだ会話はしないで20数年生きてきて、あと何を話せば後悔がないかとか、何か話せば後悔がなくなるかとかそういうもんでもないよなとか、翻ってああこういうことが起こる歳に自分がなったのかとか。後頭部は、すごくひんやりと、冷静で。そういう気持ちのことを冒頭に書いたのだけど。


 父は湖の釣り船の上で、突然左手が無いような感覚に陥り、船の操縦もままならず、懐中電灯を照らして、宿の人の助けを待ったらしい。そこはもう彼が学生のときとかそんくらいの長い付き合いなので、彼が宿に帰る時間とか習性とかも熟知していたんでしょう。ちゃんと船を走らせ助けに来て、暗闇の湖上に懐中電灯の一筋を見たようで。多分、死ぬって思ったと思うんだよね。あ、こーやって自分は死ぬのかって。俺だったらゼッタイ思う。世の中から消える感覚というかなんというか。空から自分が見下ろせるとかいうけど、あるのかねそういうの。夢と真の境が脳がやられてわからなくなるから起こるらしいけど。ま、何はともあれ親父は生還したわけです。


 親父はしばらく入院して、またガクっとした段差を越えて日常に帰ってきました。自分は彼が弱っているところに接触しなかったので、仮に自分以外の家族がみんなだまってたら確実にそんなこと察し得ないわけです。不思議。結局人の感情は好転・暗転の瞬間に起こるのだろうななんて、いやにひんやりとまた考えたりもする。でもそんな不思議な体験だったのですよ。自分が死ぬのもね、なんかきっとすっと起こるんじゃないかとか思うのね。事故でばーーんとかそういうことに限らず、ガンだって宣告は突然なわけだから、きっと心に起こるガクっの衝撃は、突然くるんだろうね。


 日本を代表するアニメーション映画監督の今敏氏が先日なくなったそうです。千年女優東京ゴッドファーザーズ、パプリカとか、彼の作品ですね。膵臓ガンで46歳。ふと自分の周りの46歳が頭をめぐり、いろいろ考える。彼が書いたという遺言が、いろいろ考えちゃうんですよね。これ。なんか、それはもう死ぬのって大変で大変で、ここに書いてあることなんてそれのほんの一部を、しかも読める範囲で、読む人のことを考えて書いてあると思うのね。だからそんな、死は日常の延長のふと訪れるなんて言ってはいかんのかもしれないのですけど。でも、そう思うんです。だからこそ、日常に厭世的に諦めて生きるってんじゃなくってね、いつ死んでもなんとかすんなり逝けるように悔いなく毎日を過ごすような、そういう人でありたいです。ってまあ出来ないんだけどねなかなか!


 今さん、どうかご冥福を。



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本日の一枚:

beauty and harmony 2

beauty and harmony 2


 こないだライブやった曲の収録アルバムその2。ええ曲たくさん入ってますけど、やっぱり難しかったですね。。。!